庄村久喜のブログ 陶芸家的脳内日記

日々の暮らしの「・・・」のはなし

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
今何時?
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
SPONSORED LINKS
『涼しげな茶碗』のはなし



彩磁茶碗


ガラス玉のような照りがある青と


ほんのりと優しい照りをもつ白。


この対比が心地よい。





| オレ仕事(work story) | 19:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
『久しぶりの』のはなし


久しぶりの型打ち成形。


現在の白磁釉薬をかける予定。


量産型とは違い


作り手の痕跡を感じる。


そこには、


己の線がある。


うつわとしての、


線のあり方を模索する。


同時に、


花噐などの一品作品では、


ロクロ成形後に、アウトラインを整える為の削りを、


取り払うことで、


己の線のあり方を模索する。


今までの作品は、精密さと優しさと品格を求めていた。


これと並行した作品は、


素朴、優しさ、品格。


次回のお仕事で御披露目できたらと思っているのだ。


ということで、


9月7日から、


地元佐賀県では初となるお仕事を佐賀玉屋さんで展開です。


それも親子展です。


詳細はのちほど。。








| オレ仕事(work story) | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
『独り言』のはなし
高度な技術を見せたいのなら、



シンプル造形に甘んじるな!



シンプルな造形ほどアナログ技術として難しいのは理解するが、



得てして、



そういった思考の人ほど、



手段と目的を混同しがち。。



最高の技術で完璧な造形をなし得たとして、



そこに感動はない。。



なぜなら、


完璧な造形に体温を感じない。。


また、


鋳型技術を通りこして、


最高精密な3Dプリンター技術が陶芸界に出回っているから。。


高度な技術を魅せたいのなら、


方向性を考えるべぎ。


創造の感性(感受性)は


これから先のデジタル社会に左右されない


人間だけの能力。


・・・・・・



まとまりがないはなしですが、



どうしてもツッコミたくなる記事を読んでしまったもので。。。


意識の改革なくして、


今後の某地の発展は難しいだろうなぁ。。


すみません。。


あくまで個人の見解です。。



























| オレ脳内(praivate story) | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
『オレ歴その7』のはなし
早朝より、


移動しております。


日帰り弾丸移動です。。


車内は時間があるので、つづきです。。


・・・・


公募展チャレンジはそこそこ順調でしたが、


うつわ作品のあり方にとても悩んでいました。


単純に公募展作品を小さくすればいいということではなく、


うつわ作品は単体として、


創造していかなければいけない。


また、


当時のわたくしのまわりには、


百貨店よりも、個人小売店兼ギャラリーで、


展開している方々が多く、


わたくしの今後の展望も


その方たちと同じ方向に揺らいでいました。


そんなこんなで、


うつわ作品を持ち、一人で東京を中心に営業回りもしておりました。


最初の頃は、


ザ、有田白磁!!


見たいなベタなうつわが多かったです。


ギャラリーによっては門前払いされたりもありましたが、


決まって、ロクロ技術だけは、


どこに行っても評価が高かったです。


そんな中、


あるギャラリーがはじめて取り扱いをしてくれました。


そのことがきっかけになりに、


うつわ作品として、オリジナリティを出すことに勤めるようになりました。


その努力が実ったのか?


あるギャラリーでは、ギャラリー主催の企画展にも参加できるようになりました。


その当時のうつわは、


釉薬かけをすべて筆塗りすることをやっていました。筆塗りによる釉薬ムラ、垂れを景色とした白磁(マット釉薬)作品でした。


その後は、


文字を彫りいれる模様などプラスした展開もやっていました。


たとえば・・・・


5方に面取りした1面に、


『mentorimentorimentorimentorimentor』


といったような文字を1面いっぱいに彫り、そこに焦げ茶色の絵の具で象がんしていく。


イメージとして、


新発見された古文書みたいな感じで、絵の具がにじんでうまく読めなかったり、そんな感じのデザインをしていました。


この発想は、


以前、大英博物館で見たロゼッタストーンを見たことがあり、


そのときに思ったことが、


『(何て書いてあるのかなぁ)』


『(読めたらいいなぁ)』


『(だけど、大したこと書いてないんだろうなあ)』


でした。


そんな思いから生まれたうつわ作品でした。


↑で、書いた文字が読めますか??


・・・・・



くだらないでしょ?(笑)


そんなうつわ作品ですが、


まあまあ評判で、西部伝統工芸展の課題作品部門で
受賞させてもらいました。


また、


アンティークな白磁、風化したような白磁をと思い、


粘土の鉄分を焼成によって表面に引き出すことで、


風化したような白磁をつくっていました。


これは非常に難しく、


良い感じの景色を作るにはロスも大きかったです。


そんなこんなで、


取り扱いのギャラリーも少しずつ増えましたが、


その反面、


脳内では、今だ煮えきらない『何か』があり、


全てがフワフワした感じを持ちつつの作陶の日々でした。。


そして、


あるきっかけにより、


その迷いが表立ってきました。。


とあるギャラリーにて言われた言葉、


『うーん。。売り上げがそんな伸びないねぇ。』

『最近は和洋折衷なうつわも作んないとねぇ』

『この本にこんなうつわが載ってるでしょ?』

『こういうのが流行ってるのよ。こんなの作りなよ』


・・・・・・


また別のギャラリーでは、


『最近ねぇ、粉引きのうつわがよく出るのよぉ』

『流行ってるもんねぇ。あなたもこんなの作れば??』


『いろんな粉引き作家さんがいた方がいいから、あなたの技術ならもっといいの作れるよ』

・・・・・


このときはじめて理解しました。


わたくしことオレは、


誰かの代わりのもの、右えならいなものを


作りたいがために、


陶芸家やってんじゃねーよ!!


誰かのまねごとをやらせたいなら


他を当たれ!!


そして、オレはオレの作品を作りたいんじゃい!


模倣や写しなんてだれが作るかぁ!!


流行りものしか扱えないなら、


オレが幼少の頃に見てきた、


嫌いだった有田焼と一緒じゃ〜ー!!


なんだよー!!


オレの方向性は間違いだったのかぁ!!?


真剣にうつわと向き合っていたんだけどなぁ。。。


何がいけなかったのかなぁ。。


作りは誉めてもらえるのになぁ。。。


・・・・・


怒りと悲しみと不安と、


いろんな感情が入りみだっていました。


そして、


この日最後にお会いして戴くために約束した新規のギャラリーへ


トボトボと向かうのでした。。


そこにまっていたのは・・・・



オレことわたくしの現在の作風のきっかけになる出来事でした。


その8へ、つづく・・・・
















| オレ脳内(praivate story) | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「オレ歴その6」のはなし

今日は素焼を焚いております。

 

そのほとんどが器作品たち。新作多めです。

 

さてさて、

 

その5のつづき・・・・

 

・・・・

 

西部伝統工芸展で青系の作品が入賞した後のつづきです。

 

毎年、西部伝統工芸展(支部展)は春、そして日本伝統工芸展(全国展)は秋に開催されています。

 

実は、この2年前から日本伝統工芸展にはチャレンジしていましたが、

 

2回連続で落選しております。。。

 

その年の支部展受賞をきっかけに今までの作品をすて、

 

新たに白磁の作品を作るようになり、はじめての全国展のチャレンジとなるわけです。

 

そして白磁の作品が完成しました。

 

出品前に、何人かの先輩作家さんにその作品を見てもらいましたが、

 

みんながみんな、

 

せっかく、支部展で受賞もしているし、以前の青系の作品が良いとのことでした。。。。

 

・・・・

 

と、精神解放前のわたくしならば、迷ってしまい青系作品に戻ったかもしれません。。

 

ですが、今回は私の本当の意味で陶芸を楽しめたし、固定概念にとらわれず、己の正解で作り上げた作品でしたので、

 

見て戴いているのに失礼ですが、すべてを無視してその作品でチャレンジしました。

 

結果は・・・・

 

初入選でした!!

 

とてもうれしかったです。

 

作品名 白磁彩鉢

 

高台がやや小さく、シャープなアウトラインの造形。内外にはランダムなボーダーラインの彫りが施されていて

 

マット釉薬と無釉薬の部分の対比がある作品。。。

 

詳しくは・・・・http://www.nihonkogeikai.or.jp/work/27/

 

初入選の作品はありませんが、青系の受賞作品と白磁彩鉢の別の作品が見られます。

 

・・・

 

その後は、

 

同じような白磁彩鉢作品でその次ぎの年(2005年)の支部展でも受賞致しました。

 

また、その次ぎの年(2006年)でも支部展で受賞しました。

 

鉢の外側を高台から口元まで螺旋状にランダムな彫りを入れていまして

 

口まわりもそのラインにそって意図的に欠けさせてギザギザな口まわりを作りました。

 

この表現が当時とても斬新に見えたそうです。

 

その作品も↑のアドレスで見ることが出来ます。

 

白磁鉢という作品で、このシリーズはこれっきり作っておりません。

 

そしてその次ぎの年(2007年)にも支部展にて受賞しました。

 

その時に作品「磁ノ鉢」は、全く削らない全く釉薬をかけない、そんな焼占めの磁器作品でした。

 

・・・

 

というように、

 

4年連続で受賞致しましたが、毎年、違うコンセプトの作品を出品しておりました。

 

「今」やりたいことをしたい!表現したい!!

 

その思いでいっぱいでした。

 

しかしながら、わたくしの脳内では、磁器という素材を私なりに生かした作品つくりをするようにと、

 

毎年作品が違っていても、根底にある思考は徐々に方向性が定まっていたんじゃないかと

 

今になって思います。

 

そして、

 

2008年、

 

日本伝統工芸展でも4回入選を致しまして、晴れて日本工芸会正会員となりました。

 

・・・・

 

と、

 

順調な感じでしたが、

 

公募展チャレンジと並行して、ビジネスとしての陶芸では・・・とても悩んでいたのです・・・

 

・・・・

 

その7へつづく・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| オレ脳内(praivate story) | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
『オレ歴その5』のはなし
猛暑が続いております。
乾きも早く、作っては削るのテンポ良いコンビネーションの日々を過ごしていました。


ということで、


その4のつづきです・・


陶芸家としてのターニングポイントを迎えるというはなしから。。


順調だった青系の作品。


西部工芸展(今の西部伝統工芸展)で、はじめての受賞をしました。


周りの先輩たちから祝福され、


表立っては喜んでおりましたが、


内心、わたくしは、


『(やっぱ、これじゃダメだ。。)』
『(こんな作品、やはり父の二番煎じでしかない)』


と、考えていました。。


今までやって来たことは、ただ単に父の仕事を追っていただけではないのか?


と、思い始めていた時の受賞でした。。


このことをきっかけに


今まで積み上げてきたすべてであった青系の作品を捨てました。


と同時に、また一から創り上げていこうという覚悟と決意のための受賞だったと考えるようにしました。


その後・・・・


苦労して造り上げてきたものを完全に捨てるという行為が、わたくしの心の視野を解放してくれました。


同時期に、プライベートでは、さまざまな国籍の外国人達と遊んでいたことも大きな要因です。


そう、


わたしは、


白が好き・・・


そして、


教科書通りの美意識は捨てよう!


『今』の自分が『良い!』と思うことをやろう!


自分自身の正解を作り上げよう!


・・・・


そして、


白磁作家、庄村久喜が誕生しました。


その6へ、つづく・・・・・
















| オレ脳内(praivate story) | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「オレ歴その4」のはなし

その3のつづき・・・

 

 

窯業大学の助手を2年間勤め上げて、わたくしはとうとう実家に入ることになりました。

 

少しだけはなしを戻しますが・・・

 

助手をしていた時期にわたくしが好きだなぁと思っていた作家、作風があります。

 

一番初めに興味をもったのは、

 

3代徳田八十吉先生の曜彩技法でした。とても美しいグラデーションと流れに感動しました。

 

また、朝鮮唐津の風合いも釉薬のカオス的な流れと下地釉薬とのバランスが好きでした。 

 

そして、板谷波山のほ光彩磁には、今までに見たこと無かった幻想的な風合いと工芸としての斬新さに感動しました。

 

また、海外の作家でルーシー・リーは好きでした。

 

数年前に日本でも大々的に展覧会があり、認知度もかなりアップしています。

 

シンプルで柔らかい造形はコテコテの造形とギラギラした絵付けの有田焼が嫌いだったわたくしには

 

とても心地よかったです。

 

幼少の頃、父に「人と同じことをするな」という何気ない言葉が鮮明に残っていたわたくしには、

 

八十吉先生、板谷波山などのオンリーワンな作風がとても素敵に思えていました。

 

・・・・・

 

はなしを戻します。。

 

家に入ってからは土練り、ロクロ成形の基礎からのやり直しでした。

 

学校で習った技はあくまで教科書の技。

 

父から習う技はプロとしての応用がある技でした。

 

また、若かれし頃の父は最初土物をしていたので、

 

磁器の作りに土物の作りの良さをプラスしたような技術をもっているので、

 

見て盗むことでとても苦労しましたが、結果として、さらなるスキルアップになったと思います。

 

えっと・・

 

基本的にわたくしの父は自ら何も教えませんでした。

 

わたくしも、どうしても・・・ってなことがない限り相談しませんでした。

 

これは今でもそうです。

 

「見て、盗んで、数をこなす」

 

ということで飯椀を何個も作りました。

 

 

 

その合間に、地方の公募展用の作品を制作していました。

 

そんなこんなで一年間がたった2002年。

 

中央(関東)で初めて出品した一水会陶芸展(現・陶美展)では

 

初出品にて大賞を戴きました。

 

その時の作品はたしか・・・「釉彩鉢」だったような。。笑

 

助手のときに作り上げた青系の釉薬と、さらに青い色釉薬(透明釉薬に青呉須を混ぜ込んだもの)を使い、

 

流れるような青を表現した作品でした。

 

とてもうれしかった思い出があります。

 

また、

 

翌年からは、地元で同じ時期に頑張っていこうと決意した同級生であり、同志である2人と

 

これから先、個々に活動するための第一歩として、福岡天神のギャラリーで3人展を開催しました。

 

これは、どんなことがあっても必ず5年はやり続けるということを互いに約束して行いました。

 

このときのわたくしの個人的な縛りとして、

 

父の顧客には頼らない。あくまでわたくし個人のお客様を作ることを目標にしました。

 

最初の結果は散々でした。。しかしながら、年々売り上げもアップし、顧客も増えました。

 

そんなこんなの5年間の間に、

 

私にとって大きなターニングポイントとなる出来事がありました!!

 

それは2004年のことでした。

 

庄村久喜 30歳の頃です。

 

 

・・・・・

 

その5につづく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| オレ脳内(praivate story) | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「オレ歴その3」のはなし

その2のつづき・・・



 



有田窯業大学を卒業後、同校の助手を務めることになりました。



 



契約としては2年間でした。



 



その2年間で何が出来るか??



 



もちろん、



 



助手としての責務を果たすことは当然でしたが、



 



自身の時間をどのように有効活用するかが問題です。



 



がしかし、答えは簡単でした。



 



学校には様々な原料、化学薬品が常備されております。



 



ということで、



 



わたくし自身のオリジナルの釉薬を作るということを2年間のテーマとして



 



助手仕事の傍らに釉薬研究に没頭しました。



 



2年間で実験したテストは100ピースほどです。



 



年間で数万個テストをした!!なんて人もいるようだけど、



 



わたくしから言わせてもらうなら、効率が非常に悪く、化学を知らないからだと思う。(一応、化学大学出身なので)



 



・・・・・



 



ちょっとディスリそうなんで・・・はなしを戻します。。笑



 



最初に目標にした釉薬は・・・



 



光の屈折でキラキラと輝きがあり、乳濁した青系の釉薬・・でした。



 



いろんな試行錯誤の結果、2年間の実験によって作り上げました。



 



それと並行して、



 



2年間の間に人生はじめての公募展にも出品しました。



 



それは佐賀美術協会展と佐賀県展です。



 



最初に出品した作品はいまでも手元にあります。



 



確か・・・



 



白磁ベースに数種類の色釉薬をライン状に施した作品でした。



 



今見ると、とても下手くそな作品です。。



 



しかしながら、



 



荒削りだけど、現在の作風に通ずる何かを自分のことながら感じます。



 



そんなこんなの助手時代を終えて、



 



いよいよ逃げ場を失ったわたくしは、覚悟を決めて



 



自宅である工房に入ることになりました。



 



庄村久喜 26歳の頃です。



 



 



その4へつづく・・・・



追伸

研究ノートは未だに持っています。

こんな感じでした



 



 



 



 



 



 



 


| オレ脳内(praivate story) | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「オレ歴その2」のはなし

 

前回のつづき・・

 

 

 

有田窯業大学で、初めてロクロに向かったオレことわたくし。

 

まぁ、下手くそでした。。。笑

 

最初の課題は土物で煎茶碗100個を素焼き前まで作ることでした。

 

思うように形ができないし、削りでも中心が合わない。。。

 

才能がない・・・・と思っていました。

 

学校の授業時間では足りずに、休日には隣町のロクロ施設を借りてやっていました。

 

そして、ようやく100個作り上げました。

 

とは言え、

 

不揃いのものもあるし、厚さもさまざま。。。

 

しかしながら、やり遂げた感はあったような気がします。

 

そこからは必死にロクロを挽きました。

 

学校は単位制だったので、ギリギリ進級出来る単位までとり、

 

後は、授業には参加せずにクラスのみんなが他の授業を受けている中、

 

たった一人でロクロの練習をしていました。(当時の先生、すみません。。)

 

2年生になると、

 

後期からは卒業制作でした。

 

わたくしの卒業作品は・・・

 

「食卓、玄関先に飾るための花器」

 

円柱の形をベースとして5パターンの形の変化を持たせた花器の制作。

 

・・・・と、

 

これは表向きのコンセプト・・・

 

裏コンセプトであり、真のコンセプトは・・・

 

いろんな形の花器を作るためのロクロの練習でした。。。笑

 

卒業制作では、特に優秀だった作品には特別に賞がありました。

 

がしかし、わたくしにはどうでもよかった。

 

窯業学校ですべての陶芸人生が終わるわけではない。

 

あくまで、入り口であり、ただの通過点。

 

たかだか、2年間勉強したところで技術の基礎が理解できるだけで何も変わらない。。

 

だからこそ、例え卒業制作だとしても、

 

ロクロ修行に時間を費やしていました。

 

卒業制作の結果は・・・・

 

ギリギリの合格だったそうです。。。笑

 

卒制担当の先生、ヒヤヒヤさせてすみませんでした。。

 

 

その後、

 

学校からのお誘いによって、同校の助手として2年間勤めることとなりました。

 

・・・・・そうです!

 

業しても2年間また逃亡できるのでした(笑)

 

ですが、

 

入学当時と比べたら、陶芸に対する気持ちも変わっていました。

 

もっとロクロがうまくなりたい!

 

オリジナルの釉薬も作らなきゃ!!

 

そして遊べる!!(笑)

 

庄村久喜 24歳までのはなしでした。

 

 

つづく・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| オレ脳内(praivate story) | 16:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
『オレ歴』のはなし
先日、


お初のお客様がお越しになり、


オレことわたくしの作品のお世話をしていただきました。


ありがとうございました!


そのときに、


『今の白磁をずっとやられているの?』


『昔から陶芸家になりたかったの?』


と聞かれました。


皆様からよく戴く質問なんだけど、


簡単に言えば、色々と経て今に至っているのです。。


本当は1から順を追ってお話ししたいのだけど。。


ということで、

 
興味を持っていただいている方たちのため、


また、


わたくしの今後の方向性がぶれないための再確認のために、


今一度、1から整理していこうと思う。


・・・・・


小、中学生の頃、わたくしは、有田の焼き物が嫌いでした。

それは、


毎年ある有田陶器市ではA店、B店・・・と隣り合う店に当たり前のように同じような器がありました。
それは、どこに行ってもどこを見ても。。


そんな理由で、


『(焼き物ってつまらない!)』  


『(毎年同じものばっかりなのに、何が楽しくてたくさんの人たちが来るのだろう??)』


と、いつも思っていました。


ちょっと変わった?お子さまでした(笑)


ちょっと変わっているけど、


純粋だったわたくしは、


小学校でその思いを担任の先生に話しました。


そして怒られたことを覚えています。。


今思えば理解出来ることだけど、


当時の私は怒られたことで、さらに嫌いになっていきました。



そんなわたくしは、


いつもまわりから、『跡継ぎだねぇ』


『2代目だねぇ』(本当は6代目)など言われ


その事にとてもうんざりしていました。


そんなこんなで、わたくしの脳内ではいつも、


『(有田から逃亡したい!!)』


と考えていました。


そんな思いから高校受験は有田から離れた普通高校を受験をしました。


大学ももっと離れたところと思い受験・・・・


そして受かった熊本の大学へと行くことになりました。   


フリーダム!!!ってな毎日でした。


まぁ、遊びましたよ(笑)


そして大学4年生。。


この頃のわたくしは、いつかは陶芸の道に入らないとダメかなぁ・・もう逃げられないかなぁ・・と思う毎日で、


友達が就活している際も、のほほーんと遊びながら、就活もせず、煮えきらない感じでいました。


そんなある日、父から、


『陶芸やるなら、知り合いのところに頼んでもいいぞ』


みたいなことになりましたが、


『(弟子入りしてしまったら終わりだぁ!!)』


と逃亡者としての初心の思いが甦り(笑)、


最期のあがきとして、有田窯業学校に入学することにしました。


そこで、わたくしは、


人生初めて陶土(最初は土もの)をさわり、ロクロをまわしたのでした。


庄村久喜 22歳の時でした。。


・・・・・



つづく・・・・・・













Check
| オレ脳内(praivate story) | 22:49 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |